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建築を見てみよう!

わたしたちの住んでいる街にはたくさんの建築があります。
建築はまとまって屋並みになり、街を形づくっています。
私たち建築家が街や建築をどのように見ているのか興味はありませんか。

ライトの帝国ホテル

カテゴリー:建築を見てみよう! 投稿日:2014.11.02

この作品が生まれた頃の時代背景から入ろう。
1914年(大正3年)当時の帝国ホテル支配人だった林愛作はヨーロッパから帰国したライトに新しいホテルの設計を依頼するところからこの物語りは始まる。当時、ライトは使用人の狂気により家の放火と家族を一挙に失うと言う過酷な不幸に見舞われ、失意のドン底にあり、林の依頼はライトにとってこの上ない朗報であった。1917年ライトは来日し設計に取り掛かり、1919年にホテルは着工した。ライトは使用する石材から調度品の選定に至るまで徹底して臨み、世界でも初めて全館スチーム暖房を採用した。10のブロックに分かれ、繋ぎ合わせるエキスパンションジョイントを持つ巨大なホテル、耐震性と耐火構造建築の設計となるが故にライトの完全主義は大幅に予算をオーバーさせ工事をも遅らせる結果となった。支配人の林は引責辞任し、ライトはホテルの完成を見る事が出来ずに離日した。ホテルの建設はライトの弟子、遠藤新の指導の下で進められ1年後の1923年(大正12年に着工して4年の歳月を経て)完成する。落成記念披露宴の準備に忙しい中でおりしも関東大震災に会うが、小規模の被害は出たもののほとんど無傷であり、ライトの設計は当時の人々の注目を集めた。ライトも遠藤新からの手紙でホテルの無事を聞き狂喜したと当時の記事にはある。そして以降にライトは建築史上で名を残す落水荘(カウフマン邸)の設計に入るのである。
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帝国ホテルはその後、東京大空襲で焼夷弾により1部が焼け落ちるが、戦後はGHQに接収され大規模な修復工事が行われ復旧した。1954年には新館が誕生するが、オリンピックの年の1964年に新たに地上17階建ての建て替え案が出たことで市民の大規模な反対運動が起きた。しかし、地盤沈下で柱が傾き雨漏りが生じ、老朽化と都心の一等地での270の客室では採算が悪く1967年には閉鎖し取り壊された。ライトの帝国ホテルは現在、正面エントランスホールを中心に愛知県犬山市の明治村に移設され保存されている。ここに移設された帝国ホテルの写真を掲載するが、遅れた工期を早める為コンクリートの型枠を省略し、仕上げ材の煉瓦を周囲に組み中にコンクリートを中に流し込むといった苦肉の策を用いた様子が伺える。一見、荒々しくも思えるがライトの建築に質感を増し、いっそう良く思えてならない。完成時の姿は無いが、一部分であっても不滅の名作として永く保存されることを望みたい。
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【執筆者】
建築家:岡本 寛
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